創刊60周年記念にあたり、業界の歴史を振り返る意味において「パチンコ産業の歴史シリーズ」を再掲載しています。※この原稿は2011年9月号に掲載していた「パチンコ産業の歴史⑯」を一部加筆・修正したものです。
1. パチンコ5回リミッター不況を支えたパチスロ機
1996年10月1日より保通協に持ち込まれるものについて「2回ループ禁止」「確変率50%まで」「確変5回リミッター」とする規制が決まり、CRバブルは終焉した。しかし、この苦境を救う救世主が現れる。パチスロ機だ。
もともと1990年10月の規則改正以降「4号機」となったパチスロは、基本的には3号機に比べ「規制強化」の内容であると理解されていた。3号機に比べ「リプレイの搭載義務付け」「集中役のパンク確率の引き上げ(Aタイプ150分の1、Bタイプ160分の1以上)」「小役・シングルボーナスのフラグ持ち越し禁止」などが追加、逆に緩和点としては「JACゲームが6回から8回へ」「ビッグボーナスが純増枚数方式から期待値方式に」くらいしか見当たらない。
そんな4号機が初めて登場したのは1992年12月、エレクトロコインジャパン製「チェリーバー」だ。新基準機としてパチンコは1991年2月に三共製(同年にSANKYOへ社名変更)「フィーバースパークGP」が登場していることから考えると、パチンコに約2年遅れての登場だった。この機種はリールフラッシュなどが話題となったが、おとなしい出玉性能がファンに受けず、導入自体はあまり進まなかった。しかし、実はこの機種には、後にパチスロ界に革命をもたらすゲーム性が秘められていた。「リプレイハズシ」である。期待値方式となったため、JACイン(リプレイ揃い)を目押しで阻止し、小役ゲームを引きのばして獲得枚数を増やすという打ち方で、チェリーバー発表時にショールームでチャンピオン木崎氏が発見したとされている。特にこの機種には、2枚入れでJACイン確率が上がるため、残りゲーム数が少なくなると2枚入れにすることで、3回目のJACインも取りやすい、というパンクを回避できる特徴もあった。初期の4号機全般として、リール配列上「リプレイハズシ」が可能な機種は他にも複数あったが、攻略しても枚数的には微増程度で効果は薄いものがほとんどだった。
出玉性能よりも「FM音源搭載」「キャラクター図柄」「大量リーチ目」などのゲーム性が受け、山佐製「ニューパルサー」がパチスロとしては初めて20万台を超える大ヒットを記録。4号機市場はニューパル一色となっていた状況の中、1995年7月にユニバーサル販売(現ユニバーサルエンターテインメント)製「クランキーコンドル」が発売される。導入当初は「辛い」「出ない」と不評だったものの、攻略雑誌などで「リプレイハズシ&15枚役狙い」の打ち方が紹介されだすと、若者層がホールへ集結し、たちまち大ヒット機種となる。その後も「CCエンジェル」「タコスロ」「ゲッターマウス」「レッツ」などリプレイハズシ仕様の機種が続々と発売され、さらにこの後1997年12月には「サンダーV」を発売、1998年9月には「HANABI」を発売と、若者層の圧倒的支持にとどまらず年配層も集客し、パチスロは設置台数の増加スピードが加速していく。1996年の「5回リミッター規制」以降のパチンコ氷河期を、パチスロが見事に救った格好だ。
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