●CRAナカムラのぱちんこ泰然自若121
はい皆様ご機嫌よう!やけに暖かい2月からそのまま春準備ゾーンになってきてますが、いかがお過ごしでしょうか?世間ではコロナウイルスの話題で持ち切りで、各種イベントが中止になるのはもちろん、学生さんの入試も何回かに分けるみたいな事になってるようで、まさに大混乱ですね。
テレビで入試を控えた方達のインタビューを見て
( ゚Д゚)そういえば自分も入試の時いろいろあったなぁ~…
なんて事を思い出したので、今回はそんなお話を書かせてもらいましょうかねぇ…
あんまり音楽には興味なかったが、ミスチルのCROSS ROADや広瀬香美のロマンスの神様が流行っていた1993年の年末、翌年に大学受験を控えたナカムラ少年(1★歳パチプロ)が通っていた高校は、普通科(バカ)・体育科(筋肉バカ)・美術科(謎のバカ)・特進科(別校舎に隔離された進学組)に分かれており、ナカムラ少年は一番取り柄がなくて救いようのない人種が蠢く普通科に在籍しておりました。
1年生から「パチンコは究極の球技!」という謎の座右の銘を掲げて、パチンコ必勝ガイドを毎号買い、日々パチンコ屋に通う勤勉な少年でした。教室の壁に油性マジックでフィーバーパワフルのゲージを原寸大で書いて、同級生に釘の読み方講座を開いていたのがバレて怒られたりはしたが、まぁそこは底辺高校なので大事には至らなかった。
そんな普通科の中でも、コイツら何か間違えば大学入れるんじゃね!?みたいな微妙バカを集めて、3年生から1クラスだけ「普通科進学コース」が生まれるのだが、先生は何を血迷ったのかナカムラ少年がそこに放り込まれる事態になった。当の本人は料理関係の専門学校に進むと半ば決めていたんだが、放り込まれたものはしょうがない。
無駄に授業が増えて「7時間目&8時間目」という、パチンコ行くのに邪魔で仕方ないロスタイムを強制されたが、普通科の友達に紛れて帰ってしまえばこっちのものだった。「元々大学に興味ない生徒」ってことで、あまりうるさくも言われなかったんだが…夏くらいになって特進科と普通科進学コースのみが、全国模試ってヤツを受けさせられた所から境遇が変わってしまう。
ナカムラ少年は何事も極端で、数学・音楽がマジで10点とかいうレベルなのに対して国語・美術は常にほぼ満点って感じで、合わせたら「平均より上」に落ち着くのがいつものスタイル。その全国模試でも、平均したらどうってことない「どこか受かるかもしれないね~」レベルの数字なんだが、国語が99点で科目別偏差値80、数十万人中8位というワケの分からない数値を叩き出してしまい、先生達の総意で「ナカムラは文系の難関大学を受けさせろ!」みたいな流れができて、ほんとムリヤリに受験モードへ…
( ゚Д゚)いやじゃー!ボクはパチンコしたいんじゃー!
奇しくも1993年といえば、綱取物語・春一番・フィーバークイーン・アメリカンドリーム・CR花満開など、名だたる名機が登場した年でもあり、ハッキリ言って「勉強なんかしてる場合ではない」のである。
職員室の奥の面談室に呼ばれて先生に囲まれ「ジュケンスルゾー!ジュケンスルゾー!ジュケンスルゾー!」と洗脳セミナーが何回か開催され、
( ゚Д゚)わかったわかった!受験はするけど好きなようにやらせてくれ!パチンコの邪魔はしないでくれ!
という、とんでもない落しどころに着地。
もともと国語なんて机に向かって勉強するようなものでもないし、要は形だけでも何個か大学を受けたらイイ。むしろ午後からの数学3時間連チャンとかは大手を振って帰れる身分になったのだ。
夏が過ぎて秋になり、そして冬になった頃には「ちょっとだけ幼く見える剛腕パチプロ」として如何なく実力を発揮していたナカムラ少年。勉強?してるワケないじゃないですかww 全機種の大当たり確率と連チャンシステムは全て暗記できてるが、数字に強いのはそこオンリーだ。
( ゚Д゚)次週につづく!
CRAナカムラ
奈良・愛知・岐阜・広島で店長職を10年歴任。その後、大阪の某チェーン店で統括営業本部長職を経て独立。常に打ち手目線を持ちつつ…と言えば聞こえはいいが、この男自身パチンコするのが三度のメシより好きという重症患者。
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