【コラム】大阪にあった、色々ブッ飛んだホールの話。/CRAナカムラ

●CRAナカムラのぱちんこ泰然自若332
はい皆様ご機嫌麗しゅうっ!原稿を忘れて一回寝かけて、突如思い出して起き上がって(with半泣き)きた今日この頃…いかがお過ごしでしょうか。既に頭が仮死状態でして、今回のお話は支離滅裂になる事が予想されますので…生暖かく見守ってあげてください。

さてさて、最近は「店の個性」がどんどんなくなってきて、特に大手では画一的な状態が続いていますが、昔はとんでもなく個性的なホールが全国各地に存在していた事実。

個人的には特にアウトロー系の独自営業も掘り下げて書きたいところだが、それはまた次回以降に置いとくとして…今回は大阪である意味すごく有名だった、とあるホールのお話を書いていきませう。

大阪市の城東区にあったそのホール(閉店済み)は、大学生だったナカムラもグランドオープンから並んで参戦した思い入れのある場所。その時何を打ったのか忘れたが、狙いはCRFビーチだったのを覚えている。設定付きCR機で最高設定が激甘だったんだよね。取れなかったけど。

このホール、オープン当時から色々とブッ飛んでて、グランドオープン初日から目の前の幹線道路に向けて、看板を持ったハイレグ水着のレースクイーンをいっぱい配置したんですが…これが車の追突事故祭りを誘引ww 所轄激オコww

( ゚Д゚)そりゃーそうなるわww

他にも週替りか月替りかで、ホールの入り口にフェラーリやらランボルギーニやら、スーパーカーを並べてみたり…本来事務所にしか無いはずの店内全ての防犯カメラのモニターがエントランスに並んでたり、たしかシマ内全て1台ずつ違う機種という「バラエティーコーナー」を初めて見たのもココだった。

土地柄あまり治安は宜しくないので、色々と苦労があったのは察するに余りある。全くの異業種から飛び込んできてグランドオープンさせたこの会社、元々はウィークリーマンション等をメイン事業にしている不動産会社って事で、パチンコ業界に染まっていなくて発想が凄く柔軟だった。

打ち手としてのネタもまだまだ書きたい事があるが、それは今回割愛。一番衝撃を受けたのは…パチンコ雑誌で営業回りしていた時に、たまたまここの内部に入った時だった。

( ゚Д゚)「はじめましてー!ボクCRA!」

カウンターで話を聞いてくれた若い女性の名札を見ると【店長】。えーこんな若い女性が店長してるなんて凄いな!と思いつつ、奥に通されて社員さん達がガヤガヤしている所にご挨拶すると…

「店長の〇田です」

「店長の〇山です」

「店長の〇川です」

「店長の〇木です」

( ゚Д゚)んん??

パチンコ雑誌の営業ってのが珍しがられて、さらに奥の事務所から数人出てきて、

「店長の〇村です」

「店長の〇井です」

「店長の〇藤です」

( ゚Д゚)んんんんんん??

出会う人全員が店長!?既に10枚以上の店長名刺が手元に。

タイミング良く店長会議で集まってるのかと思われたが、このホールはド近隣に3店舗しか持ってないはず。

( ゚Д゚)どういうこと??

つづく

■プロフィール
CRAナカムラ
奈良・愛知・岐阜・広島で店長職を10年歴任。その後、大阪の某チェーン店で統括営業本部長職を経て独立。常に打ち手目線を持ちつつ…と言えば聞こえはいいが、この男自身パチンコするのが三度のメシより好きという重症患者。

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