●CRAナカムラのぱちんこ泰然自若276
はい皆様!真冬の東北からぱちんこ愛を叫ぶっ!今週も謎のオッサンのコラムへようこそでございます!
いやー、今日は触れずにはいられないこのニュース!一時は業界トップ3メーカーだった西陣の廃業。誰もが知る花満開はもちろんの事、ポップカルチャーやパチンコ大賞や花鳥風月や春一番や春夏秋冬やラプソディや球界王や撃墜王やラッキートマト、はたまた伝説のパクリマシン「海です」の生みの親!あの西陣がいきなり逝ってしまい、業界に衝撃が走ったのが昨日の話ですががが…
さてさて、少々前置きが長くなりましたが…今回も「おもひで」にいきましょうそうしましょう。
パチンコを打ち始めた頃によくお世話になった西陣の機種は、火の玉ボーイとスケボーキッズとびんびんバラエティ(全てハネモノ)。
なぜこの3機種なのかというと、18歳を前に少々フライングでパチンコを打ち始めた都合上、高校の制服さえ着てなければ目を瞑ってくれる店舗が限られており…最もフリーダムだったのが近鉄南大阪線「富田林」駅前の【カナヤ】と【百萬弗】という同一経営の2店舗。
ナカムラ少年以外にも
( ゚Д゚)あいつどんだけ童顔なのよww
と笑ってしまうフライングボーイが数人居たが、今から思い起こすと…ナカムラ少年もトップクラスでその一員だったのは間違いない。ちなみにホールに出てるスタッフは、両店ともほぼ全員エプロン姿のマダムだったので、さぞかし微笑ましく見守られていたことだろう。with母性。
うむ、また話が脱線したが…その2店舗に設置されてたハネモノが上記3機種なのだ。ルーキーなんちゃらみたいな西陣セブン機もあったが、高校生の所持金では踏み込むことが許されないエリアだったのである。
そんなハイスクールパチンコライフに多大なる影響を与えてくれた、西陣のハネモノ達は他に比べて何が優れていたのかというと…ズバリ!ハネモノの中枢である役物の完成度!磁石を使って玉の動きを演出する技術だったり、
( ゚Д゚)あぁ〜っ!惜しいっ!
と思わせる設計が神業だったね。
今ならゴトの餌食になる可能性大なんだけど、当時はおおらかな時代。ハネモノの命である「役物内での玉の動き」による当落判定において、磁石を使うことによりスピードを落として、目視で
( ゚Д゚)ぁぁぁぁ……ぁっ…ぁ〜
と言わせてしまう技術、これが素晴らしかった。アラフィフのパチンカーなら分かってくれると思う!
話を戻そう。
当時、この3機種の中で一番打っていたのはびんびんバラエティで、特に役物のクセが良い台を把握して立ち回っていた。
機種の説明をす…
ん?
ありゃ…ペース配分を考えずに西陣の思い出を語ってたら、本題に入る前に文字数ww
ま、次回から本題で今日は序章という事にしましょう。
( ゚Д゚)また来週っ!
CRAナカムラ
奈良・愛知・岐阜・広島で店長職を10年歴任。その後、大阪の某チェーン店で統括営業本部長職を経て独立。常に打ち手目線を持ちつつ…と言えば聞こえはいいが、この男自身パチンコするのが三度のメシより好きという重症患者。
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